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事件簿3 長男の正直者事件

これはつい最近の話ではあります。長男の光輝。実は小学校の時から勉強が大嫌い。大大大嫌い。教科書や答案用紙は落書きばっかりのレベルです。親に似たのかな? 顔だけでいいよ、似るのは・・・。本当に嫌いで日常生活に支障をきたすほど勉強アレルギーでした。小学校3年4年からほとんど「がんばろう」でした。典型的「体育」「図工」だけ良くできるタイプです。

 

小学生あるあるですね。彼を励ますために小学校の時に言った言葉があります。「勉強は社会人になってからでも遅くない。いつからでも本気でやれば大丈夫やで。今勉強しないからって人生が決まる訳じゃない。父ちゃんもあまり勉強はしなかったけど働き出してからたくさん勉強した。大丈夫。ただ、算数と国語は大事やで。理科、社会はまあ別に社会人になってそれを勉強してないからってそんなに困らんわ」こんな風に「大丈夫だよ」「君ならちゃんと生きていけるよ」と言うメッセージのつもりで伝えました。(1回か2回しか言ってないと思う)

 

それから彼は楽になったのか、気負いもなく成績も最低ランクのままで中学2年の夏を迎えました。総体が終わっていよいよ受験シーズンです。部活動のソフトテニスは本当に好きで頑張っていましたが・・・・。ただ・・・・ねえ・・・・。

 

僕「このままの成績やったら私立も無理って言われてるし中学校卒業して働くか?」

 

光輝(長男)「えっ!オヤジが勉強せんでええって言うたからホンマに勉強せんかったのに!!大丈夫って言うたのにあかんやんけ!!!」

 

僕「いや、まず気付けよ。君はアホか!だれがせんでええと言った?思い詰めんでええよと言う意味や!ホンマに何もせんでええ訳ないやろ!」「そんなに特別な事せんでも、ここまでひどくならんやろ?」

 

光輝(長男)「おれはアホやねん!一緒にすんな!あーあ・・マジか・・・」

 

僕「・・・・・・・。君の人生やから君が決めんか・・。就職もよし。勉強も良し。海外に行くもよし。僕は君の人生まで知らんわ。自分で考え。」

 

そこから彼は夏休み中、校長先生や英語の先生を片っ端から捕まえて夏休み1日も休まずに特別補習授業の約束を取り付けたそうだ。3か月間ぐらいでオール3まで頑張ったそうだ。英語の「We」の意味が中学2年で分かってませんでしたから・・・。1年の単語からやり直したと風のうわさで聞きました。

 

不思議とやりだすと楽しく感じるらしく・・・・。そりゃそうだ!!!60点の人間が70点になるのと10点の人間が60点になるのと60点の方が下なのに褒められてしまう!すごいねって言ってもらえる!
もしかすると彼の綿密な作戦?
動かざること山の如し作戦か?彼のやり方としては結果的に良かったのでしょうね。ということは僕のアドバイスも的確だったのでしょうね。塾にも本当に親身になって頂けるお母さんみたいな先生がいらっしゃって全員に助けて頂きまくって無事第一志望の公立高校へ行けたのでした。

 

決して彼の実力ではなく周りに助けて頂いたおかげなのだ。勘違いしてはいけない。何回も言ったけど覚えておいてね。周りのおかげ。ただ、周りを引き寄せた、協力してもらう執念もなかなかすごいと思いました。見習いたいですね。後で聞くと先生方が「もうええやん」と言う日も多々あったらしい。「あかんねん!俺アホやから。もっとせな忘れるねん」としつこかったそうです。どれだけ迷惑かけとるねん!!校長先生にも「おう!校長!数学教えてーな! 会議?? そんなんええやん!」校長先生は君のツレですか?「先生」は付けましょうよ。「どんな教育しとんねん!」と周りから言われても仕方ないです。光輝「ため口は俺のポリシー。これで皆超仲良くなれんねん!高校でも一緒や。」はいはい・・そうですか・・・ご勝手に・・・まあ何かあった時に気づけばいいし働き出したらそうもいかない。そういう考えも若いうちは大事かもね。やってみて気づいたことしか身につかない。先回りの注意なんてわからないもんね。彼らは一人の人間です。出来る限りは個を尊重し軌道修正は親の役目。木の上に立って見ると書いて親。感慨深い言葉です。「呼び出し」が無いように祈るだけです。現在は全ての責任が親ですからね。

親子共々お世話になりっぱなしの中学生活でした。校長先生には卒業時に「お前はかしこまってお礼なんか言うたらアカン。えらそうに胸張って校門を出ていけ。」と言われたそうです。そのままのお前でええねんと、大人の皆様方に許容して頂いて今の彼があるのでしょう。将来お世話になった先生方には恩返ししましょうね。正直に「勉強なんかせんでも大丈夫」という僕の教えを6年間も守り通した純真無垢な長男のお話でした。ほんま・・・・・。疲れます。

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